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2017年3月1日更新(68号)

カタツムリ    鈴木 禮子

ほんの僅か日脚伸びたる心地して蕾膨らみてくる山桜桃梅(ゆすらうめ)
寒の風あびて初めて咲く花を只待つもよしアワモリショウマ
孤独なるカンガルー見に立ち寄りてきみ口ずさぶ『冬の旅』など
仔を舐めるしぐさもなくて老いふかくたった一頭(ひとり)の獣園の檻
聴衆のために並べし椅子ありてジャズ演奏は石壁に染む
行きずりの首都駅頭の二重奏挽歌のごとく湧きては崩る
音楽は知らね渦巻く旋律の、掬いあげゆくその浮揚感
どの音がバリトンとしも我知らず情動ありて白波は立つ
受験()が立ち上がりゆく朝となり祈るばかりぞ老いたるものは
手も足も出ぬカタツムリわが成すはただ目瞑りて掌をにぎるのみ
標的は自づ決りて序の舞を眸きりりと見せむとするか
目覚めたる丑三つ時のうたごころ何の驕りもなく兆しくる
老いの歌の真髄ぞこれ顔あげて思ひのままに衒はずにあれ
うすべにの蘭花さやけし縁ありて終の住処とわが傍らに
鄙びたるサンヤレ祭の夜祭りよ埴生の里にいまだ残れる
「おんめでたうござる」囃子太鼓に鉦の音風のまにまに遠ざかりゆく
余剰のものみな脱ぎすてし花鉢をいくつ並べて冬の軒先
焼酎(ちゅう)買って来てなんてもうイヤよ、ねェ」昭和初年の若き詩の会
歳ごとに脚色加へ来しものか古き手紙はセピアに烟る
宮 柊二「多く夜の歌」と詠みたまふ佳吟に酔ひて再びみたび
齢重ねしみじみ響く歌のあり出会いの時はさまざまに来る
亡くなりし歌人の歌に胸熱し 人生百年、百年の色
天災地変、避け得ざるもの多々ありて荒ぶる神の仕業よといふ
神々の猛りたまふは何のゆゑ、津波も地震(なゐ)も悪夢なるべし
鴨川の出水に土手は削られて八糎だと(おら)ぶ声のす
をなご等は竈の前にたむろしてお結びの山積み上げにけり
『炊き出し』の意味合い(しか)と覚えつつおにぎり一つ食みし思ほゆ
希臘神話夢中になって読んでゐた今にしてまた読まむと思ふ
古書店でわが見出でたる初版本「天の夕顔」更に色古る
夢のやうなくさぐさありて醒めやらぬ思ひは残る晩祷(ばんとう)の庭

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