目次

2016年3月1日更新(64号)

老いの主題    鈴木 禮子

たをやかな草花よりも漆黒のつや愛でよとぞ草の実さやぐ
竹馬の友いかにかいます蹲り日がないちにち猫と遊ぶに
やらねばと気負ふ心も仇なれや捨つれば潔き冬に入りゆく
兄弟(はらから)と父母にゆかりの旅をせり雪の長岡草深き里
立ち寄るは円空佛の在す寺 名も忘れしが秋深かりき
運転手速度ゆるめて更にいふ「角栄さまの融雪道路」
一年生(いちねん)になりし息子が母の日に吾にくれたる縫い針の束
生き延びて弟のみが残りたり酔ひふかくして「酔はず」とぞ言ふ
愚図る日の多くしあれど鉛筆を渡せば笑みの戻るいもうと
幼なけれどこの猫の絵の面白さ妹の絵を愛でしひとあり
消えたるは契約者たる資格にて我に返れば老い邃きかも
利害得失この世のことは夢のゆめ耳の浴びたる潮騒に似る
何時しらず忘るる多き明け暮れや天恵かはた天意かこれは
人前でぶざまに吾は転びたり老いの主題がびしりと決まる
若き日の美男役者の大写し皺み弛みてテレビに笑ふ
ほどほどに老いほどほどに果つるべし長寿はさほど楽しからざる
登り窯のわきに蕺草二つ三つ残してありき祈りなるべし
掃き立てし土の匂ひは(しる)くして京、五条坂、寛次郎邸
餅花はむかし炉辺に飾るもの沁みじみとして心揺れくる
すゑものに一世捧げし人と言ふ小さき猪口も並並ならず
秀吉の住まひし地ゆゑ天災は先づありなむと夫が先見
やから等を守るは主の勤めぞと()ひしや否や(をとこ)なりける
セールスが最低ゆゑに買ひたりと亡夫の声す 嗚呼『ブリタニカ』
豊かさは百科全書を飾ることバブルは湧きて人浮かれたり
蓄音機、床脇にしんと鎮座して父おもむろに唱歌を鳴らす
もう二度と創れない表情をして、小さき手に成るかの雪だるま
スナップの写真幾枚取り出してひとり笑ひのわたくしは祖母
雪かぶり解体しゆく隣家を見つつしをれば咲く夏の花
たちまちに過ぎ去りゆける年月あり蔓バラ白く垣を覆ひて
『吾輩は猫画家である』ウエインの一世の夢にわれも溺るる

▲上へ戻る