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2009年3月1日更新(36号)

午の日に    鈴木 禮子

午の日に稲荷寿司(おいなりさん)をつくれりと聞けば心のふとほぐれくる
運勢は百歳(ひゃく)ちかき日にかたぶくと卦に出でたればこの世安泰
人品も卑しからざる老技師が直しゆきたり故障の冷蔵庫(きぐ)
ニシャプール、柔らかき名よ微かにもコーランの声風に乗りくる
もの言わず笑顔もみせぬ植木屋が刈りてまるめし門前の柘植
銀の縮毛キラキラとして犬の仔は愉しむごとく草の()を嗅ぐ
橘の実を戴だけり小さきを田道間守(たじまもり)のごとくに食みき
「お久しぶり」と亡夫の墓に香焚きて祈りたまひし君の年忌に
北陸線にたったひとりで乗ってゐる比良連峰の冠雪しろく
いろは紅葉、黄に橙にくれなゐに(うづ)めて(あか)し黒谷の寺
繧繝(うんげん)模様ゆれて瓔珞は夢さそふ秋闌けにつつ法然の寺
すりよりて身悶えしつつ()をねだる猫と云ふ名の生き物を抱く
耳も熱く肉球熱く爆睡の猫の見る夢真紅に燃えむ
温度計の下がる夜さりは鍋物の白とみどりに寄りゆくこころ
物言はぬものこそよけれ完熟のリンゴがひとつ枝に残った
京町の町屋の奥の坪庭の(ひひらぎ)しろき花まとひゐる
年賀状また書くとても片だよりせめて届けよ嚏のひとつ
許容量限りなかりし若き日よそも狭まりてみづからを許す
影のやうに警備要員ちらつけば変りゆくとふ人格の怪
立場違へば人も変ると事なげに言ひし人あり如何に生くらむ
眠られぬ夜にまみゆるは短歌の類、撫でさすりして口に転がす
わがうたも多く()短歌(うた) ねそびれて()をかすめゆく夢見のたぐひ
新しき年の暦に新年をうらなひをればはや日暮なり
職と家を喪失の人痛めども手も足も出ず玄冬に入る
獅子頭(ししがしら)の花蜜・蕊を喰ひ散らすヒヨドリ二羽が白の絢爛
「おかあちゃん」五十歳(ごじゅう)が呼ばふ母われの老いしことなど念頭になく
火事・逆死・人攫ひなく汚名なく生き延び来しか昭和・平成
また逢はむとかたみに云ひて笑ひしが何時か途絶えてもうそれっきり
畳の(へり)、タタミ目ふたつ分を占む黄金分割のさまかとおもふ
タタミ職の美感に叶ふ姿なり撫でさすりたる歳月ひかる

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