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2022年1月1日更新(83号)

遠い囁き     鈴木 禮子

日本の学者が栄誉を受け賜ひ研究のみが楽しと()らす
奥ふかき愉楽としての学問も、美食・技芸も人なればこそ
農耕にのめり込みたる一生(ひとよ)あり 好みしならむ黒き田畑を
しづしづと蝉を引きゆく蟻の群、生生流転(しょうじょうるてん)の秋の葬列
亡妹(いもうと)は絵を画くことに没頭す 少年を描き猫もゑがきし
命題は「ククシ」と名乗る孤児の像「撃ツナ」と叫ぶ眼が燃えてゐた
紙と鉛筆命のやうに愛しみて放たざる人、吾のいもうと
もの皆は煙のやうに消えてゆく墓の献花もみな末枯れたり
「ご無沙汰をして御免よ」と墓前にて呟く義兄(あに)も亡くて幾とせ
生き死にを、誰が先とは言はねども枯れゆく花の姿ぞ無惨
朝ごとに(ひよどり)がきて喰い尽くす赤き実消えて秋も深まる
最高気温ガクンと落ちて肌寒く時雨月なりこぼれ陽もなく
木枯らし一番吹きて天下は冬に入る重ね着をして温度を上げて
偽痛風(ぎつうふう)に悩む右手が漸くに癒えきて叩くパソコンのキー
未だ(てい)を成さざる文字をやすやすと漢字変換、頼もしき器機
「貴方には既に一家(いっか)(ふう)がある」色褪せ果てし亡師の賀状
縁ありて或る日来駕(らいが)短歌(うた)の座に学究の身を染め給ひたり
肩書は名誉教授と輝ける(かた)を交へて無礼講なり
みな故人 われも歳経て姥となり杖を頼りによろよろとゆく
忌の日経てわが立ち上げし歌草紙「迷走地図」も八十余号
夜すがらを鳴りて止まざるレコードの歌謡途絶えて訃報が届く
暗い歌は止せと言ひしは村上さん、されども吾は挽歌をうたふ
短歌(うた)の種は自然体良し 悲しくば涙流すは人間の(さが)
「もう駄目か」「まだ早すぎる!死なないわ」涙拭かれて苦笑ひせり
喜びは発散しつつ消えゆくか ブッセの詩句に染まりてわれは

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