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2019年9月1日更新(75号)

送り火    鈴木 禮子

しらじらと野茨の咲く生垣は崩されゆきて土に塗れぬ
恐らくは子孫絶えたる禍ごとに土被りしか白き野いばら
敗戦の後に建ちたる家といふ一・二代して消ぬべくなりぬ
百年は長きか 否よ 向ひ家の淡き桜も行を共にす
先づは「船」次いで燃えゆく「大文字」炎は(あか)く山肌を焼く
亡き人を送るしるしと誰一人口に出さねど燠は崩れて
心奥(しんおう)に燃え盛りては消ゆる火を「送り火」と呼ぶ盂蘭盆の夜
大の字の右の払ひが日本一、子等をよそ目に親たちは燃ゆ
然ういへば人物像が上手(うま)かった女の像は少し老けゐて
加茂川の瀬音の中にみな故人 うつつ無くして宵闇のなか
「菜が丘」と染めし法被が好きだった『長岡』の字は俺には合はぬ
再びを眺めざりにし信濃川 汽水の域に陽は照りながら
どん尻の末弟なれば御仕着せは兄のお古ぞ差別だ差別
思ほへば長き時世のことなりき幼き遺恨 今更なれど
満・鮮・北支、視察の旅に誘はれて副団長は父なりしかな
お土産は驢馬の首輪の鈴にしてあとは彫りある墨二つ三つ
能筆の父が残しし墨跡をわが好まざり 許させ賜へ
ひそやかに短歌(うた)を生まむと志す激しきかこの無明の夜に
(をさ)の子が祇園囃子を聴かむとす かの格式にしばしを酔ふか
花も良し、されど高鳴る鉦・太鼓 夏の祭りは(たけなは)である
シベリヤの俘虜を解かれて還りしが祇園囃子に発熱の(つま)
青き丘の家と名付くる療養所、若かりければ口を鎖して
あら草の路でばったり医師と逢ふ「保証しますよ。彼の命を」
青き丘は青春の()ひ(何も怖くはなかった)日々よ
赤旗を振りて政府を誹りたり進駐軍の行き交ふ街で
行き場なき怒りなりしか振る旗はまだ若き身に重く濡れゐし

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