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2013年12月1日更新(55号)

    稲生きみの

涙流れる時は畑に出ると言う母より春の野菜届きぬ
安心をさせてくれるが孝行とぞ亡夫のことばを娘に話すなり
アルコール断つと決めたる退院の夫は楽しげにコーヒーを挽く
病める児の小さなからだ抱きよせボランティアわれの一日始まる
春の陽のとどかぬ淵にただよいし花びらいつしか流れに乗りぬ
熱きものこみあげて来ぬ娘のお産のビデオに今し高き産声
みどり濃き茶をたて好みの桜もち眼を病む夫と春の待たるる
いつしかに小さくなりにし老母の麻痺の右手のこの柔らかさ
さるすべりの花の揺るるを見つめつつ半身麻痺の母が髪すく
少しづつ身体の自由失せてくる母の瞳のときにうるみぬ
八才を頭に四人の親となる居眠る娘をしみじみ見つむ
一五回の旅の積金(つみきん)終えていま主婦ばかり四人ハワイへ発ちぬ
秋なすに水やりて夫の帰りくる日暮れ静かに夏逝く気配
菜園より帰り来し夫花束を手渡すさまに青ねぎを出す
病院の坂道ゆけば夫の臥す病室の窓夕日に光る
日に四度のインシュリン注射に落ち着きし夫に寄り添い公園は秋
がんばれの夫のひと声背を押しぬホームヘルパー講座へ急ぐ
ヘルパー講座の帰りの電車にゆられつつテキスト内容重さを知りつ
老い母と再び来る日のあるやなし山の湯宿に河鹿鳴くなり
その胸に乳欲りし幼な日よ湯上りの母タオルにつつむ
またひととせ生かされしいのち喜びぬいよよ小さき母を囲みて
「おいしいね」好物の柿に母和む年の瀬迫るホームの静か
見るべきもの見つくして来し老人(ひと)ならん目を閉じホームの午後を安らぐ
カーネーション差し出しながら「ありがとう」呆けし母とにらめっこして
団地に住む幼のゆめは花を植え犬飼うことと絵手紙の来る
灰色の空押し上げて右手高し平和記念像雨に光れる
「テロリスト」この非常なる語の響きニュース流れる夕の厨に
携帯もパソコンもわれに要のなく老友へこころ込めて文書く
明日あると疑わず窓のカーテンを閉めて晩秋の灯をともすなり
人去ればただ冬を待つ山の湖の寂しさ思う十和田湖は秋

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