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2008年12月1日更新(35号)

鹹きもの    鈴木 禮子

高々とま夏を告ぐる紅蜀葵日暮れゆくときいちはやく萎ゆ
小学校の先生たりし人にして今だに人の世話を焼きゐる
何を食べて暮しゐるかと問ふひとに答えて曰く米・鹹きもの
八丁味噌とすこしの油・夏野菜練りあげて焼けば夏の味なり
(鱧のおとし)いたく冷えしを食むときに夏に疲れし舌がよろこぶ
漫画本いつしか卒業したる子がひたすらに読む絵のなき書籍
人の思ひにさして変りはなかるべし猫の気持ちは未だに知らず
相似たるテレビドラマにも倦み果てて土に埋めゆく秋の球根
『あさのま』とふ宿題帳のありしことなぜに思へる八月尽日
()の底の深くなりゆき蝉の声聞こえずなりて手にせり訃報
--------- 二〇〇八年八月雁書館より知らせあり ---------
「廃業をすることになりました」ああ、虹の彼方より一本の電話
人をつつむ歴史の動くことがある何の何より劇的にして
国威かけて営まれたる祭典のベルリンがあり鳥の巣がある
事無くて夏越(なつご)しせしをよろこべり雨の膚へにわが触れながら
仕切りなほし効かずなりきて自づから落ちゆく先のちらつくものを
チッソ・リンサン・カリを与へて滴れる青見むものと紫陽花の苗に
秋冷は禊にも似てたましひの底を洗ふも 死ぬならばいま
無防備に手肢(てあし)伸ばして腹見せてネコは睡れる乳(ち)の数八つ
秋雷の鳴りて一散の雨となり汗に濡れたる膚が愉しむ
耐へがたき炎暑の日日を豆柘植の墓前に低く枯れざりしかも
秋彼岸われよりわかき老僧と二人きりなる佛壇の前
秋分の日にわが見しは鰯雲、斑入りの空は愉しむごとし
神無月、三角の耳ひえびえと猫の瞳に射ぬかるれたり
艶帯びて微笑み給ひ*「ナマステ」と遥かな声すヒンドゥー(ぼとけ)
*ヒンズー語のこんにちわ
春秋を他日に残す人として今日かがよへる林檎の一顆
墨蹟のうつくしき父の表札あり(なにがし)(ぐう)とのみしるせる
すりよりて尾で撫でひげを寄せをりし猫つと立ちてもう振り向かず
冬に向けしパンヂーの苗植ゑてをりやがて咲くらむ地の三色旗
ねこと棲む洛南の丘に日は差して鮮らしきかも雪白の菊
不倫あり死別もありと告げしのみ修羅はみせざり菟原(うなひ)をとめは

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