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2006年9月1日更新(26号)

不在    鈴木 禮子

みやび語を操る業師(わざし)とたたへられ歌人たりそも果敢なからむか
夢もまた消ゆる日あらむ栄光と背中合せの断念もある
特急は風巻きこみて通り過ぐわれは残されし者のごとくに
「先づはさて措き…」くり返す昂之の歌 茫漠として菜の花は黄に
よき歌に貼りし付箋の絶えずして巻頭を出で巻末に至る
闇の中にくちなしの花咲き出でぬ重き白とはかくのごときか
霧雨の地底へむけて沁み行けば歓びならむ青葉のそよぐ
むぎばたけ正目(まさめ)に追ひてたどるとき麦秋といふ言葉馨れる
離陸する時のやうだと喜べど高速路すぎてわが腰疼く
朱のとりゐ窓枠に映ゆ国立の現代美術館上階に
連れ立ちて嗣治展出づ「我々は何といふ凡人だらう!」
モデルなき子供の群を嗣治は生む吊り上りたる目の笑はざる
描けるを天職とせし天才は時代の枠におさまらざりき
エコール・ド・パリの申し子煌めくに受くるなかりしニッポンの『狭量』
嗣治の猫にその典型をみたりけり我が飼猫も蹲りゐる
バゲットを腕にかかへて嗣治の子が笑はぬ顔が通りすぎゆく
心の軌跡絵にたどりゆくよろこびを何にたぐへむレオナルド・フジタ
アッツ島玉砕の絵に佇ちつくすセピアに沈むうづたかき死の
愚かしく絵を歌となす営みを繰りかへしたり寝覚めの床に
明け方のわが識閾に来て顕つは紅蜀葵(もみぢあほひ)のおほいなる花
     増市二郎氏 高架線主宰(相貌社)2006・6・21 逝去
相貌社その呼び名こそ(かそ)かなれ君なくて仰ぐ遠き高架線
暗闇にひらく筈なき青き花咲きて撓むも鎮魂(しづめ)なるべし
デスマスク虚空に深く刻まれて一日花(いちにちばな)は一日にて散る
なつのはなは煌々と咲き炎天に泪氷りて溶けがたきかも
息苦しき寝覚めは絶えて無かりしを転ばひにつつ不安は(きざ)
影のやうにネコがかたへをすり抜ける子でもなく孫にもあらず、猫
ククシといふ子供の吹けるハーモニカ石に沁みたり焼け跡時代
短歌(うた)をつむぐ 見知らぬ人に今宵もか、透きとほれるは風のみならず
つぎつぎと人を喪ふ朱夏にして紅蜀葵(こうしょっき)ひとつ鮮らけきかも
(ひだり)脳さらに海馬と昏みきて人たるを棄つわが良き友は

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