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2005年6月1日更新(21号)

茜志野    矢野 房子

花簪やたらにいとしわが触るることなきままに生活古りたり
坂本龍馬おしげなく天に召されしと人に云はしめしその生涯は
女らしと又云はれたり 絵筆おき筆跡にひとり苦笑ひをす
最終を飾るあさかぜ特急の警笛が鳴る長く響かせ
半世紀乗客運びしあさかぜの終の日は来ぬ鳴り止まぬ警笛
席立てばお気をつけてと高校生、愛ふかき母に育てられしか
唐九郎志野・茜志野 終焉のかしら辺にしかと赭き一盌
窯出しの日に生涯を終へしひと炎いや増す茜志野盌
粉ふきたる干柿掌にあり頬ばればかの軒下の(はは)の渋柿
揉むほどに美味くなるとぞ姑の言ふ干柿食みし終戦の冬
桜木もすっぱりと切り埋めたてて道路にぞなる緑なき四月
車椅子で桜の下を行き来せしホームの人らいづこへゆかむ
桜木も川も人らも語らねば透明になるもと七瀬川
近江路の息子のもとへ移る友所詮は諦めの老の(かたち)
「老いたれば子に従ふ」のことわりに何云へずして友は明日発つ
涙など決して見せぬ友なれどくづれ居るかな八十六歳
唐突の訣れにいく度握り合ひ()の柔らかきこれまで知らず
振り返り又手を振りて曲りゆき友見えずなる夕暮るるなか
(はな)の季に思ひくるればそれでよし友は訣れの言葉に哭きつ
杳き日を呼び醒まさむか嵯峨面の翁の笑ひ壁に久しく
面の店に坐す老人は和紙をちぎり柿渋色の翁面(めん)となしたり
三十年嵯峨面尋むる事はなし わざもつ人も泡と消えしか
翁面作れる人の語り聴きとき過ごせしか秋のひとひを
水母なすただよへる如く足萎えり老域にして熱出づるとは
久々の同期の会を断りてすずしく風を聴くがに居りぬ
八十一才最後の集ひと気負ひ来てどこかにわれの失態があり
抱き小ぐまの毛糸の感触引き寄せつ小夜を和めと嫁の創りたる
小ぐま置き名も付けやらず唯むかひ少しは癒しとなりゐるごとし
黒き目の光にわれは語らむか毛糸の小熊わが愛し子と
「あなたには歌があるのよ」と一行の言葉はわれの命立たしむ

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