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2005年6月1日更新(21号)

安全神話(三十首詠)    鈴木 禮子

玄冬の窓揺すり行く風寒く飽かず尽きせず日すがら鳴れり
息ほそる軋轢なりしか一言も弱音吐くなき男の手帳
今はまだ口閉ざさむと記しをり何とわかねど夫の断念
二つの荷をもてば一つを置き忘る汗流しつつ冬のたそがれ
泣いて泣いて泣いて死んだといふ噂きかされてをり春近き日に
春寒は五官に染みて柔らかし梅見にゆかむ賀名生(あなふ)・月ケ瀬
眠りふけて寝言を洩らす家ネコの卵ほどなる小さき頭脳
青谷と名こそはよけれ畑土の匂へる踏めば梅花の白さ
いぬふぐり別名天人唐草の露けき青の花ひしめけり
紅梅の匂へる枝が腕に満つ忘れゐしかな抱くしぐさを
財を守り財を殖やすが家訓とぞ老いて醜き財閥の長
絶え間なく雲湧きてくる春昼や「行雲流水」と囁く声す
春の嵐ひとよさ荒れて山茱萸の花が激しき黄色に咲けり
入金の礼を述べたる液晶のメールに見たり動きゆく世を
洩れくるは月のひかりか街燈か仄かに蒼くよもつひらさか
余震去らぬ玄海島の山肌に咲き出でて優し彼岸桜は
医療事故の容疑はすでに紛れなく病院長は(いや)のみをする
日の丸の国歌独唱 グランドに不思議なるそのイントネーション
個の時代、個を目立たせよ「君が代」も斉唱でなくたった一人で
風の鳴る四月の朝は冷えまさり訣れは常に唐突にくる
ひもすがらじっと視つめてゐるやうでどこかさみしい龍の髭の実
残雪は比良の稜線にひかりつつ零るる花は湖に散りかふ
確かなることなどは無したちまちに微塵となりしわれの座席が
運転士、四秒のちの死は知らず操作レバーを握りゐしのみ
さまざまの階層があり絡みあひ襲ふべくして来し列車事故
弾みたる若き日ありき一途にて聖なる業と子を育てたり
まみゆる日再びあれば何を告げむ庭に紅薔薇の咲きしことなど
花の盛り人の盛りも須臾にして児はリモコンの車に溺る
「もの忘れ外来」で受診をせむとみづから言ふ もと医師なればなほ
若葉噴く生命のときを寿がむ むかし吉野のひと言の神

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