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2004年12月1日更新(19号)

夏の夏家河子(三十首詠)    矢野 房子

枕抱へ本読むわれのひとときは朝一番の精気をもらふ
氷落しぐいのみの(すえ)(てのひら)に愛しみてをりまろきがあまり
もたれつつ杖つき歩むわがさまを君は知らざり若く死すれば
抵抗なく赤き花柄の杖を買ひそれよりわが道かがやきて行く
食器棚にワイン瓶並び一本は友が提げ来ぬ心して飲まむ
釜の錆除かむとして擦りたり 再び息吹け倶に生きたし
一掴みの小豆入れ湯を湧す事くり返し遂に釜甦る
一隅におさまりてあり新たなる(ぬし)の如くに茶釜の光る
唐突にわが元へ来し茶釜にて神さぶるなり錆びたる色も
長く咲き残る一本のシクラメン直ぐ立ちて(べに) 光耀(くわぅえぅ)
シクラメン或る日乱舞の朝なれば棘なき(なれ)を身近に寄せぬ
黄の花の延々とつづく高速路()が緩衝の道のりならむ
まどろむに友告げくるるうず潮を真下にとらへ吸ひ込まれゐつ
薬呑む(あした)の行事先づ終へて暑き日中を気負ひ出でゆく
錠剤を数へてふふむしぐさなど今われ父と同じ事せり
薬などあまり飲むなと父に言ひき老いのこころを思ひもやらず
若きらと歩を合はせゆきさりげなく花舗に止りて息を整ふ
わざわざに月が綺麗と伝へくるる友が声音(こわね)に押されて夜道
石舗(いしみち)に散りてののちも咲くがごとき凌霄花初夏したたかに
ブランディの氷カラカラゆらすとき音冴ゆるなり青きグラスに
森よ沢よもはや踏み入ることもなし杳きみどりの夏の夏家河子(カカカシ)
とにかくも横臥のわれの無力なる視界の奥に黄の花が咲く
この猛暑、猛雨、猛攻とつづく夏 恐れおのづと家内(やぬち)にひそむ
大岩に虚空仏深く彫りて在り 長く佇む みどりの風に
六曜社とふ茶舗を開きて半世紀尋ねざれども友も八十路に
暴風に惨たり青き落リンゴ疵つきて地にずぶ濡れてをり
実りたれば赤き林檎を箱につめむその手で落果なぞりて拾ふ
がっくりと肩落したる後姿(うしろで)よ泣くに泣かれず天災なれば
ブータンの荒地実らせ二十八年その地に没す日本人吉岡氏
白粥に焼きし塩鮭 一箸の海苔も(きほ)ひてのみどを通る

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