目次

2004年6月1日更新(17号)

所詮は影か(三十首詠)    鈴木 禮子

野を追はれ庭の隅廻(くまみ)にタンポポが、はこべらが咲く貴種をよそほひ
身をせめて厚き歌集をよみをへぬ外は降らむととする暗き空
捨つるもの持たねば身軽 亡き友が夢に出できて硝子を拭けり
旅仲間を小説の中に拾ひたり今宵の風は乾きてゐたる
解像度鈍き記憶のもどかしく玻璃のグラスがひとつ割れたり
ゆく春の七堂伽藍日暮れ来て時の彼方へゆく道のある
アメ―ジング・グレースの曲かなしみの残響となりながく眠らせず
校長とおぼしき三人(みたり)坐りゐて行楽電車の重き擦過音
何駅でこの三人連れ降りゆかむ瀬踏みするうちに我の下車駅
若萌えの芝くさ食める鹿がゐて暮れ遅き日の奈良東大寺
えにしだの滴れる黄は空を指しやがて墜ちゆく者振り向かず
耳とほくなりたる猫がうずくまり溶暗のとき共に抱きゐる
違和感なく胸にしみくる短歌(うた)読めば年ごろわれに近きことよし
どこか狂ひ異邦人めくうたを詠む青年にして子供もどきか
崩れゆく身体惜しみてホスピスに歌人が追へる夏の幻影
人は誰も死ぬとたやすく言ふなかれさはれ槐の花も褪せたる
智に目覚むる歳とはなりてわが孫の一年生の若竹の四肢
短歌(うた)ときけば気力振り絞るうた人の(なづき)に垂るや紫の幕
はやばやと歌の別れを告げたりし若き歌人あり神のごとしも
(てのひら)に何もなければあくがれて唯追ふのみに追ふのみにただ
里芋をこっくり煮付けて食みゐつつ河上肇の日記(にき)を想ふも
「貧乏物語」一世を風靡せり昨日のさくらとして尊し
飽食がよろこびならぬ時至りいま原点の味佳しとする
われをただ受け入れ呉るるものにのみ傾くこころ猫も然りか
オアハカといふ遥けき地名想ひみる湿潤にして羊歯のみのれる
花よりも羊歯を愛するひとがゐて全てが足るとアオハカの地へ
われにとりて垂涎のものまさぐれば光を返す詩歌のたぐひ
あとさきはあれど散りゆくことはりを裡に蔵ひて夜ざくらの燦
分身とし『影』のありたり昔々夕日の坂の影踏みあそび
既にして神いまさぬに何時の日も神を(うた)へる初老の男

▲上へ戻る