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2022年9月1日更新(85号)

白蓮に寄す     鈴木 禮子

小六(しょうろく)のわれに湧き来る歌ごころ老い痴れるとも消す(すべ)も無し
父が友を送りて歩む賀茂川で彼が好める短歌(うた)に溺れき
白蓮(びゃくれん)って?」問ひみる吾に「美人だよ」微醺は匂ふ笑顔と共に
禮子(れこ)ちゃんヨ、早すぎるってと声を掛け小父さん先生カラカラ笑ふ
かの日より数年(すねん)の日々が過ぎにしか ある日泣きゐる父を迎へき
円山の雪洞(ぼんぼり)の影ゆるる夜をわれは知らねど花ある日かと
人も川も群を抜きたる美しさ、されども無残 時が奪ひき
親友の死とふ厳しき遭遇に(おのれ)励ます手立ても知らず
お二階の座敷で交はす(さかずき)を楽しむ時は永遠(とは)に崩れて
日いちにち気温は昇り卯月なり薄くれなゐに桜は吹雪く
書を()くし子らに優しき父だった 田舎の姥の代書もなしき
幼な日の憧れの父、連れ立ちて又も行かむか「子安観音(こやすかんのん)
時は行く 加速なしつつ紛れなく、かすかに開く山茱萸(さんしゅゆ)の花
思ほへば懐かしき日よ 茨木の歌会(うたかい)の日の古き面々
「又ですか?」(なじ)られながら奥様がクサヤ焼くとぞ顔を(しか)めて
「これは又、嫌がられても止められぬ」笑ひ一巡集ひを巡る
人々の爆笑止まず そんなにも旨いものかと腹の底から
北陸の晩夏の光(にぶ)くして素描に残る笑みは夢なり
玄関へそっと運んだお母さん 穏やかにして眠れるごとし
弟を頼むよね……と言ひし母、予感有りてか(みずか)らの死に
妹がわれに与へし画像あり 背の引き締まる若き一幅
画家になる気は寸分も有らずして追ひ()まざりき美への追跡
先生が褒めしばかりに生徒らの(ねた)み買ひたる裸婦の淡彩
(つが)の樹に絡まりて垂るカラス瓜 五つ余りの垂涎(すいえん)の色
良き人の集まりだった懐かしき其の大方の姿も忘る

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