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2020年3月1日更新(77号)

落 日    鈴木 禮子

蝋梅の花おぼろにて紅椿つぼみも見せぬ 喪の年 令和
近江(かぶら)皮厚く剥き炊きしめる葛を加えて嗚呼、寒の味
墨染のソバ屋、パン屋も消え失せぬ 建つは花咲く老人ホーム
霜月に訃報あまたが相次げり蝋梅の黄はまさしく喪章
玄冬にガクンと摂氏二度となる四海すべては高波の壁
孤独なるカンガルー見に立ち寄りて君歌ひしか『冬の旅』など
仔を舐める仕草も無くて老い深し たったひとりの獣園の檻
薄紅と青の歌よと記憶する土井晩翠の『荒城の月』
かぐはしき詩集が届く 行間に栗鼠と木の実の音かそけくて
(ちゅう)買ってきてなんてもう嫌よ、ねぇ」昭和初年の若き詩の会
シーサーの蹲りたる沖縄の赤土色のその面構(つらがま)
砂糖黍たのしみ居れば猿たちに荒々しくも皆奪はれき
砂浜に寄するは(あを)き波がしら 立ち尽ししか夏果つる日に
潮騒の音を否みて背に泣きし娘もいつか還暦近し
「巨大なる蜥蜴にわれは変身か」薄き手紙にわが息詰まる
莫逆の友にしあれば人日(じんじつ)に他界の門ゆ戻されしとぞ
食事みな旨しと食ひてひさかたの天の祝歌(ほぎうた)はや聞こえ来し
死は苛酷 親族(うから)すべてを振りほどき今何処(いずこ)にぞ 戻り賜はぬ
死の際も短歌(うた)推敲は命なり 村上 豊氏生きたかりけむ
逝かむとし短詩の磁力守り得ず 歌人偲べば泪あふれて
平山画伯(ひらやま)の「シルクロード」が胸を打つ金泥に潤む幽かな佛
陽はまさに墜ちなむとして隊商の駱駝と人のあし音暗む
描けるは心の中の翳にしてある日は佛 群れなして人
薬品の副作用にて立ち眩む予期せぬ折の地震のやうに
心不全、はたまた頭蓋の損傷と卒寿過ぐれば吾は割れ物
足裏に、膝小僧にと気配りを、されど転ぶか老いたる今は
若き子の思ひ及ばぬ経緯(いきさつ)をかへりみすれば花いちもんめ
(ぢぢ)役で、も一度当てて見たい」と言ふ武田鉄矢のひとことの冴え
情動の高まりくれば湧き上がり色褪するとも短歌(うた)といふもの
生き行くにその手立てなど歌はむか百年近き夢のくさぐさ

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