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2008年3月1日更新(32号)

限界を捨てむ    矢野 房子

目覚むればわれを呼ぶのかシクラメンひとりではないとくり返し云ふ
久に来て寺前ゆけば車窓近くいちゃう黄葉(もみぢ)のまさにまぶしき
雪明りにキラキラ光るつらら連忘れてゐたり幻想さへも
雪が哭き雪が笑ひし雪原のなべては消さるなべては無なり
天井に子ねずみチチと鳴く声す、もう終りたれ叫ぶ限界
あかあかと莟満たして紅アリス精一ぱいの二度目の迎春
孫たちを迎へて佳き時持てる人庭の枯葉の時拾ふひと
一人居ても正月は来る店頭に(いろどり)しつらへ揺らぎし自由
孫二人の母校早稲田の優勝に年はじめなる拍手あびせて
まっ白き富士遠く背に駅伝の走者の胸の(ダブル)文字追ふ
やうやくに電車の光迫り来る霧で遅れしホームに寒く
溜め息なく老いの行方も語らずに六十台はまだ若かりし
向ひ合へる二人炬燵に静かなるコトバのありて壮年を生きし
ひとり身の堀ごたつなり二十余年、今宵はとみに君と過さむ
必要とされたるを知り背のびして短歌に関はる八十四才
限界を捨てしごとくに残りたるうたの道ゆき(はな)咲かさむか
子年われを大きく可愛ゆく(えが)きたし年の始まる子年とあらば
風花の舞ふ葬り日となりたるを美しき終と誰か云はしむ
お母さんと一瞬呼びくるる若き友 とまどひも又われをくすぐる
孤独さも味はふ間なきわが短歌 人界賑しく過ごして生る
京にはもう無しと見放し松阪の老人ホームに決めたり友は
目の覚むる黄葉公孫樹(もみぢいちやう)の並木道 出逢ひし秋の余韻しばらく
ひとり窓に海キラキラと見はるかし空気も良しとつぶやくやうに
友に向き励ますコトバ呑み下し硬く掌を取りただ握りしむ
独り身の級友(とも)がひとりで結論を出したるものに平穏よあれ
孫パパにせがむ三人の賑しく電話替れば口裏合はす
霧にかすむ屋島の山と庵治(あじ)浜の画面にひろごる義父の古里
庵治石の墓碑建立を決めし夫 ある朝父の声聞きしとぞ
寝つくまで思ひ深むるいとなみをまくら言葉と誰か云はしむ
百二歳のセンスにしんそこ惹かれしも我はわれなりと夜を静かに

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