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2006年6月1日更新(25号)

葉ざくら(30首詠)    鈴木 禮子

大正九年夏に荷風の買ひたるは夕顔・糸瓜(へちま)紅蜀葵(こうしょくき)の苗
荷風翁「感きたらず」と日記(にき)(かこ)ちわれは笑ひを噛みころしたり
あぢさゐの芽けやきの新芽つんと伸びいまだ冷たき硬質のいろ
春雷の鳴りて季節の流れあり良き方に向けよ地にあるすべて
陽だまりに梅は開きてあはあはと箔のごときか早春の日は
かたみにぞ叶はぬこととしるゆゑに花見の契り兄と交はしし
引き潮は褻の刻と濃く繋がれば忌み嫌ひたる時世ありにき
ちちははの暮しにふかくかかはりし潮の響きは夢にのみ聴く
越後なる弥彦のやしろ知らざれど父母にゑにしのありて戀しむ
つぎつぎと枝離れゆく花のあり「しっかり見む」と老友はいふ
雷鳴に一天暗み雹の降る 荒々しきか春のことぶれ
猫なれど死は荘厳のものなれば泪も涸れて四月の四日
寄りて生きし十八年の道連れの 得がたき光なりしを消えぬ
つひの夜も息粗きねこ抱きてたどる細き吊橋ゆれやまぬなり
むらぎもの心に触れて消ゆるなしはかなき(ぬか)と碧潭の(まみ)
仰ぎ見る空に糠星、かすかなる猫星といふもののあらずや
坂の上の家に真白き野いばらの咲きて散りたり短かきぞよき
築地(ついじ)(べい)ながくつづきし下鴨の糺の森に人を弔ふ
濃密なる生にしあれば若き死も受けいれなむか葉桜青く
見上ぐれば塀たかだかと巡らせて天と地のみの町家の暮春
内庭の日本タンポポ場を得たり 石に黄の花 土に黄のはな
一株づつ植えてありしよ(どくだみ)の花も窯場の添景として
壷に皿、野に咲くものの果てまでも奏で合ひつつ寛次郎館
師、白秋に歌の暗さを指されつつ(おのれ)貫き通しし柊二
師弟越えし歌人のほこり赫々とぶつかり合ひて華となりしか
豪勢なるあぢさゐの鉢贈られつ花作り人となり得ずわれは
いっせいに擬宝珠萌えて薔薇さきて人の死ですらとほくなりたり
さみだれに伸びし雑草(あらくさ)むしりつつ試されゐるはつねに吾にて
何為すも及ばぬことの多かりき分を知れとぞ囁く声す
こころ病む十三(じふさう)の友想へどもただ良きしらせ待つに止めつ

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